小野妹子と秦河勝の故地へ


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きょうは、太子街人(ガイド)の会の主催講座の下調べ第2弾で、滋賀県大津市の小野町、京都の六角堂、そして太秦の広隆寺と巡って来ました。

きょうもいい天気で、暑かった〜

まずは、湖西線で堅田の次の小野駅下車。

目的地は唐臼山古墳ですが、小野道風神社、小野神社、小野篁神社も寄って、和邇駅まで歩きました。

まずは唐臼山古墳。
なぜここに来たかというと、、、

その古墳上に神社があって、

妹子神社とな。

小野妹子のお墓は太子町にあるのですが、この唐臼山古墳も小野妹子のお墓だと地元で言われているそうです。ここらは、小野氏の地で、小野妹子の出身地だそうです。

社裏にある塚がそれだとか。

琵琶湖を見渡せます。

次に六角堂に来ました。

号は紫雲山頂法寺。

「開基は聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地に訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。」と。

六角です。

聖徳太子沐浴の古跡とか。

御持仏を多良の木に懸け、泉で沐浴された時、浴後枝にかけた持仏が木から離れず、「ここは衆生に利益を与えるにふさわしい地であるから御堂を建ててほしい」というお告げがあったので、この地に六角堂が建てられたとか。

建立後、小野妹子大臣が守護のため入道し、池の傍らに坊を営んだので、坊号を池坊といった。太子の教えに従って朝夕花を供え、代々の住職がこれを伝えて、生花の名手が輩出されたとか。
小野妹子は華道の道祖になり、それで、太子町にある妹子墓は池坊が管理されているそです。

最後は、太秦の広隆寺。推古11年(603)に、太子が「私は尊い仏像を持っているが、だれかお祀りする者はいないか」と言うと、秦河勝が「私がお祀りしましょう」と申しで、造ったのが蜂岡寺(いまの広隆寺)だとか。で、その仏像が国宝になっている弥勒菩薩像だとか。

秦河勝も小野妹子同様、能の始祖になっているそうで、世阿弥の『風姿花伝』では、申楽(能)は太子から秦河勝に伝えられ、受け継がれてきたものと書かれているそうな。

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