遠つ飛鳥を歩く


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太子街人(ガイド)の会の主催講座の下準備で、遠つ飛鳥を歩いてきました。桜井駅から土舞台、豊浦寺跡、飛鳥寺、橘寺、植山古墳と歩いて来ました。彼岸花も終わりかけでしたが、まだまだ暑かったです。

ただ、途中にあった山田寺跡は倉山田石川麻呂縁のお寺だったとは知らずに素通りし、奈良文化財研究所飛鳥資料館は休館日で寄れず、定林寺(立部寺)に行くのは忘れてしまいました。

また行かないといけないですね。

※最後にきょう歩いたルート図があります。

ひとつめの訪問地は土舞台。
日本の芸能の発祥地と謳われています。

私は西側から行ったのですが、ちょっと分かりづらく、一枚目の写真の地図の通り行った方がいいかも。そうすればこの階段に出ます。

『日本書紀』の推古天皇20年に、「百済の人味摩之(みまし)が帰化した。「呉の国に学び、伎楽の舞が出来ます」といった。桜井に住まわせて、少年を集め伎楽の舞を習わせた。」とあります。
また、『聖徳太子伝暦』では、「太子は、味摩之の住まいを桜井に与え、少年たちを集めて伎楽の舞を習わせた。」とありまっす。
その習わした所が、この土舞台だというのですね。

土舞台からめちゃ歩いて向原寺へ。

ここの発掘遺構から、推古天皇が住まわった豊浦宮跡、日本最初のお寺豊浦寺跡だとか。

聖徳太子絵伝には、守屋らが豊浦寺を焼き、日本で最初に出家した善真尼ら三人の尼の法衣を剥ぐ場面が描かれていますね。

少年たちに伎楽を習わした桜井とは、ここだという碑。

欽明天皇の時に、物部尾輿が仏像を投げ捨てた難波堀江とは、ここだという看板。

豊浦宮跡の碑がありました。

飛鳥寺です。

日本で最初の本格寺院で、日本最古の仏像、飛鳥大仏があります。

彼岸花が綺麗。

聖徳太子誕生地に来ました。欽明天皇の別宮がここにあり、そこで(後の)用明天皇の妃の穴穂部間人皇女が太子を出産されたとか。

橘寺です。

最後に植山古墳に来ました。

ここは、推古天皇が最初に葬られた、竹田皇子の墓だったのではないかと言われています。

反対斜面では、発掘調査をされています。

上からは二上山が見えました。あの向こうに、後に移された推古天皇・竹田皇子の陵墓があります。

この日あるいたルート図

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