土師の里を巡る


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去年(2019年)、堺市の百舌鳥古墳群と羽曳野市藤井寺市の古市古墳群が『百舌鳥・古市古墳群』として世界遺産に登録されましたね。百舌鳥古墳群の中心となる大仙稜古墳(仁徳天皇稜とされる)は日本で一番大きな古墳で、古市古墳群の中心となる誉田御廟山古墳(応神天皇陵とされる)は日本で二番目に大きな古墳です(盛り土の量では日本一)。そして、この二人は親子。応神天皇の子が仁徳天皇らしい。

とまあ、何かと繋がり深い二つの古墳群をまとめて、この度世界遺産への登録が叶ったのですが、この二つの古墳群には、他にもちょっと興味深い共通点がありまして、それは“土師”って地名がどちらにもあるんですよね。百舌鳥古墳群の方には土師町(ハゼチョウ)といまも町名として残っており、古市古墳群の方には土師ノ里(ハジノサト)って駅名で残っています。 この土師って名は何だろう?その謂れを調べに、先日ちょっと歩いてきたのでご紹介します。超有名人も絡んできますよ。

近鉄南大阪線土師ノ里駅です。

周辺図。古墳がぎゅうぎゅうにあるね。

土師ノ里駅を北に行くと、市野山古墳(允恭天皇陵)があります。

土師ノ里駅を南に行くと道明寺があります。

右の柱には「蓮土山道明寺」

左の柱に「菅公御作十一面観世音」とあります。ここの十一面観音立像は国宝です。で、菅公とは、、

「道明寺略縁起」があります。聖徳太子がここに尼寺を建てるとき、土師という人が土地を寄進して土師寺が建てられ、それを菅原道真に依って道明寺と呼び改められたとかとあります。菅公とは菅原道真のことですね。

こちらは教育委員会の解説。菅原道真は土師氏の子孫で、道真公の別名道明から道明寺と呼ばれるようになったとか。

次は、道明寺天満宮へ来ました。

門前に、窯跡の碑と由来の碑があります。

由緒がありました。

垂仁天皇三十二年、野見宿禰が埴輪を創り殉死に代えた功績により、「土師」の姓とこの土地を賜り、推古天皇二年に聖徳太子の発願に土師八嶋が自宅を喜捨して土師寺が建立。(その後)土師氏は菅原に改姓され、道真の叔母が住んでいたとありますね。

境内には、近くから出土した修羅のレプリカが展示されていました。

周囲の遺跡から分かった埴輪を焼いた登り窯の復元です。

仲津山古墳(中津姫命仲津山陵)

古室山古墳です。梅や桜が綺麗で、憩いの場になっています。墳丘にも登れます。

誉田御廟山古墳(応神天皇陵)です。

外周です。デカイ。

土産物屋です。

この日歩いたコースと記録です

古市古墳群巡り★土師物語 / 二上嶽さんの活動データ | YAMAP / ヤマップ

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