桜井周辺史跡巡り


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久々の歴史ハイクです。
今回は、耳成駅から桜井駅周辺を巡ってきました。

まずは耳成駅南側から膳夫町にある膳夫寺に向かいます。

膳夫寺です。

聖徳太子の妃のひとり、膳夫姫が養母の菩提の為に建てたとか。

膳夫姫は、太子町の聖徳太子御廟に太子の母穴穂部間人皇女と共に葬られているとされる方ですね。

この膳夫姫がこの付近で暮らしていて、養母の為に芹を摘んでいた所、太子と出会ったという話があり、膳手姫は芹摘姫とも呼ばれています。

膳夫寺の奥にある三柱神社です。

縁起によると、膳夫町は、天皇の饗膳を掌った品部の氏族ゆかりの地だとか。

次に訪れたのが、橿原市東池尻町にある大津皇子の歌碑。大津皇子は天武天皇の第三子で、天皇が亡くなったとき、謀反を企てたとされ、自害させられた方ですね。この東に磐余(いわれ)の池があったとされ、磐余の訳語田 ( おさだ )に大津皇子の宮があったそうです。

解説板の下の石碑には、「ももづたふ 磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」と彫られているそうで、これは万葉集に、「大津皇子、死を被(たまわ)りし時に、磐余の池の堤にして涙を流して作らす歌一首」という題が付いた辞世の歌だそうです。

大津皇子の遺体は、二上山に葬られたとされ、雄岳山頂部に大津皇子二上山墓があります。(近年は、麓の鳥谷口古墳が真墓だと言われています)

桜井市吉備の方にも大津皇子の歌碑があるようなので、そこも寄りました。少し迷いましたが、吉備春日神社の裏にある池の北西角にありました。

写真では読みづらいですが、先程と同じ歌が刻まれているようです。

次に訪れたのが安倍文殊院。創建は安倍倉梯麻呂とか。

太子町には大化の改新を進めた幸徳天皇の稜があり、また、その時に右大臣になったのが太子町辺りを本貫地にしていた蘇我倉山田石川麻呂ですが、左大臣に着いたのが安倍倉梯麻呂だとか。

本堂です。
この中に、文殊菩薩像や善財童子像など、五像全てが国宝になっている「渡海文殊群像」が祀られています。文殊菩薩が乗る獅子が圧巻でした(笑)。善財童子像は、昔西大寺のものも観ましたが、こちらの方がちょっと顔が下膨れ(笑)でした。

金閣浮御堂も拝観しました。拝観料は本堂とは別です。受付でまず七枚のおさめ札を渡され、堂の周りを一周するごとに一枚納め、七周してから堂内に入ります(笑)。七難を取り除くとか。

堂内は安倍晴明縁の展示が並び、『簠簋内伝』(ほきないでん)があったので、ちょっと感動。

境内高台には晴明堂と天文観測の地の碑がありました。

そこからは、浮堂越しに二上山が見えました。

次に訪れたのが土舞台。
去年秋にも来ましたが、広場全景の写真を撮ってなかったので、再度寄りました。

推古天皇二十年に、百済の味摩之(みまし)が帰化し、「呉で学んだ伎楽の舞が出来ます」というので、桜井に住ませ、少年たちを集めて習わせたと『書紀』にあります。

その習わせた場所が、ここだとか。

土舞台の碑です。

次に訪れたのが、桜井市外山にある能楽宝生流発祥之地の碑

宝生流は、室町時代の大和猿楽四座のひとつ外山(とび)座から生まれた流派だそうです。

観阿弥とともに能を大成した世阿弥の『風姿花伝』には、猿楽は聖徳太子が秦河勝に命じて六十六番の能をつくったのが始まり、神楽の神の字の編を除いて申楽と名付けたとあります。

ちなみに、能とは全然関係ありませんが(汗)、太子町の仏陀寺は、秦河勝の子孫が創建したとの縁起を持ちます(笑)。

次に訪れたのは、大和川と中和幹線が交わるところにある、欽明天皇磯城島金刺宮跡。横の碑にもあるように、『書紀』の欽明十三年に、百済の聖明王が仏像と経典を贈ったそうで、これを仏教公伝と呼んでいるそうです。

それで、「日本仏教発祥の地」とも書いてあるんだけどさ、いやいやいや、その時は疫病の原因やとかで焼き捨てたんちゃうん。その後の敏達天皇十三年に蘇我馬子が仏像を貰い受け、司馬達等の娘ら三人が出家し、斎食の時に舎利が現れ、仏法の広まりはここから始まったって『書紀』に書いてあるんちゃうんって、ちょっと突っ込みたくなる(笑)。

最後に、大和川の右岸に建つ「仏教伝来の地」碑へ。解説板には、仏教公伝の話のほか、小野妹子が随の使者裴世清らを連れ帰った時、ここで、飾り馬で迎えた話も載ってます。

河原には、使者を飾り馬で迎える絵や、飾り馬の遊具などあります。

でもねえ、『書紀』にも載るように、ここ、海石榴市(つばきち)跡は、善信尼らが法難で鞭打たれた場所でもあるんよね。そんな記録も、どこかに示しておいて欲しいんだよね。

さて、ここで本日の予定は終了。この後、桜井駅まで戻りました。
ログをみると、5時間45分、14.3kmでした。いやあ、よく歩きました。

天気予報では昼から雨で、途中パラパラと来る時もありましたが、結局予定箇所を全部周り、写真も納めれたので良かったです。

コメント

“桜井周辺史跡巡り” への2件のフィードバック

  1. 片本憲一のアバター
    片本憲一

    すばらしい。グレードアッブしています。ありがとう😆💕✨ございます。吉備池は吉備池廃寺で、舒明天皇建立の百済大寺です、大津皇子の辞世の歌碑は福田恆存さん揮毫だったと思います。
    文殊院西古墳の石室は入られました?ひそうしゃは阿部き倉はしまろが比定されています。

    1. ひで丸のアバター
      ひで丸

      片本さん、ありがとうございます。
      石室入りましたよ〜
      中が広くてビックリでした。

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