桜井市の相撲故地を歩いてきた


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『日本書紀』の垂仁天皇七年七月七日に記されている、当麻邑の当麻蹶速と出雲国の野見宿禰の勝負が相撲起源とされています。その野見宿禰の出身地と伝承される地が桜井市の長谷寺の近くにあります。また、その相撲が取られたいう伝承地が、巻向の東にある穴師という地に相撲神社としてあります。

この二箇所はちょっと離れているのですが、ハイキングがてら、JR巻向駅から近鉄長谷寺駅まで歩いてきました。

まずはJR巻向駅から相撲神社を目指します。②のマークのとこですね。「国技(相撲)発祥の地 カタケヤシ」と書かれていますね。

国道にはよく目立つ看板が立っています。

垂仁天皇の纒向珠城宮伝承地です。

更に東へ行くと相撲神社があります。

相撲神社は穴師というところにあるんですね。
ところで、この解説板には、野見宿禰は相撲と埴輪の始祖とありますね。今回は相撲の始祖としての野見宿禰の故地を巡りますが、埴輪の始祖としての野見宿禰はまたいずれ紹介したいと思います。

相撲神社がありました。

力士像があります。

土俵もあります。

社殿です。

解説板がありました。

この碑の絵は、元は国立競技場の壁に飾られ、現在は新国立競技場の東側ゲートに移されている、「勝者之聖」の縮小レプリカだとか。

他にも古い碑が沢山ありました。

その後、山辺の道を南下し、大和川から長谷寺の方へ行くと、途中に出雲という集落があります。そこにある十二柱神社に立ち寄ります。

社殿です。

ここの狛犬は、

力士たちが支えています。

参道の横に顕彰碑があります。

「大和国出雲村相撲開祖野見宿禰顕彰碑」と彫られています。

碑の裏には、野見宿禰は出雲国から召されたとあるが、大和の出雲村と考えた方がいいと新設を解説。

また、菅原道真の祖とも書かれていますね。この話もまたいずれ。

これが野見宿禰の五輪塔なのですね。

この五輪塔は、元は太田の宿禰塚にあったのを、明治16年頃にここに移されたそうです。

昭和40年に建てられた『相撲開祖野見宿禰五輪塔由来』

書き写しを最後に貼っておきます。

最後に五輪塔があった宿禰塚跡に来ました。ちょっと分かりづらい場所ですが、この看板からアパートの前を抜けていきます。

畑に出ると、碑が建っています。

野見宿禰塚跡に碑です。

平成十二年に顕彰会が建てたそうです。


この日回ったコース図です。

野見宿禰五輪塔由来の書き写しです

【相撲開祖野見宿禰五輪塔由来】
垂仁天皇御代、天皇は野見宿禰と当麻蹶速を三輪山西麓の皇居纒向珠城宮に召して相撲をとらせ、宿禰が蹶速を倒した物語は「日本書紀」に記載されてある。
その相撲跡カタヤケシは現桜井市大字穴師にあり、相撲起源の伝承として広く世に知られている。
当出雲地区には、古代より野見宿禰の古墳と言い伝える壮大な塚があり、旧出雲の村人らは鎌倉初期に五輪塔を建立し、その祖神宿禰を氏神として長く崇敬していたが、明治十六年農地整理により塚は形を失い、墳上の塔をここに移し祀った。
物語は古墳文化時代の四世紀前半のことと推定されるが、出雲村の宿禰がこの地より珠城宮に召された伝承は、神話伝説の構成と大和王朝の成立経過、万葉集の歴史地理の調査、研究から考察して史実の反映を示す重要な存在であることは明らかである。
よってここに日本建国の功労者、相撲開祖及び土師氏の祖野見宿禰の五輪塔由来を記し、その旧跡とこの文化遺産を長く世に伝えたいと思う。
昭和四十年十二月

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