二上獄ブログ
ロープウェイで葛城山
きのうは、太子伝の流れと、三人の尼と三人の乳母の記述の変化をまとめてみた。
で、きょうはツツジを観に葛城山へ。
雨上がりで、山上は結構寒かった。
定林寺(立部寺)跡へ行ってきた
きょうは、明日香村の定林寺跡へ行ってきた。 定林寺は、聖徳太子建立七ヶ寺の立部寺とも言われたそうで、寺跡傍にある立石は乳母石と言われてきたそうです。
ここについて、永禄十一年(1568)の斑鳩寺蔵『太子伝金玉抄』には、「ある抄が言うには、立部寺は、乳母の孝養のために建立の寺なり。彼の寺の縁起に五人の名を注し玉へり」とあるそうです。 この「乳母の孝養のため」というのは、西方院の縁起とも近く、西方院縁起を考える鍵になるかもと思っています。
久々の飛鳥駅です。
いい天気です。
面白いものが立っています。
標識出てきました。
参道ですね。
「聖徳太子佛法弘布霊地」とあります。「立部 定林寺」とあります。
今の定林寺のようです。
「上宮太子」とあります。
「聖徳太子第九番御遺跡霊場」とあります。
額が何枚か掛けられていますが、大分剥がれて分からないですねえ。何か馬に乗ってる場面のような。
更に奥に進んでいくと、
定林寺跡がありました。
解説板ありです。
アプリガイドありです。
これが乳母石ですね。
これに乗って遊んだのでしょうか。
で、村史など見てみようと公民館分館にある図書室へ行ってみると、がーん。
そんなんネットに案内されてなかったぞ〜真宗と聖徳太子展と絵解きフォーラムに行ってきた
龍谷ミュージアムで開催中の特別展「真宗と絵解きフォーラム」と、関連イベントの「聖徳太子絵解きフォーラム」に行って来ました。
龍谷ミュージアムは「絵解きってなあに?」展以来です。2012年開催なので、もう11年前になるのですか。ずいぶん前の事になってしまいました。あの時も、関連イベントの絵解きを聴くために、2回出掛けたのでした。
さて、メインの特別展の方は、ギャラリーに所狭しと、絵伝や伝絵が並べられ、中でも連坐像は、何本も並べられて圧巻。真宗の中で、聖徳太子がいかなる存在だったか伝わってきます。
しかし、こう男の顔ばかり並んだ連坐像を何本も見ていると、うへ、まさに男社会って気分になり、当麻練供養図がふと思い浮かびました。あちらは、僧も尼も、皆地面に座り、阿弥陀如来と二十五菩薩を迎えてますからね。
そんな中、面白い発見は、聖徳太子絵伝のある一本には、黒駒に乗って富士山へ飛び、かぐや姫と問答した図があること、愛知県本證寺蔵の善光寺如来絵伝には、太子と芹摘姫の出会いが数場面から構成され物語化されていること、ハーバード美術館蔵の二歳像の像内から尼僧の願文が何枚も見つかり、それが展示・解説されていたことでした。
で、これら、当然図録に載ってるだろうとキチンとメモせず、図録を買って帰ったのですが、載ってない、、、
う〜ん、展示と図録、きちんとマッチさせて欲しいよな。で、午後からは龍谷大学に移って絵解きフォーラムへ。
最初、フォーラムってのでめちゃ期待してたんやけど、その面では期待外れ。
それぞれが口演されただけ。
でも、それぞれ持ち味出てて、一挙に四本もの絵解きを聴けて、石井先生の話も面白く、聴きに行って良かったです。中でも、唯一女性の齋藤優華さんの絵解き、とても和らいだ口演で良かったです。
やっぱり聖徳太子は、和(やわらぎ)でなくちゃね。シャガを撮りに祐泉寺
このサイトのコンテンツのひとつに、二上山の花を載せていこうと考えています。
それで、きょうは祐泉寺周辺に咲く、シャガを撮りに行っってきました。祐泉寺へ行くと、祐泉寺前の登山道の分岐の所が毎年一番多く咲いているのですが、全然見当たりませんでした。他のポイントはまあまあ咲いていたのに、どうしてなんだろう?
埴輪起源説話の地を歩いてきた
もう何年もしたためてきた、土師氏の紀行文。
そろそろ仕上げようと、ずっと行けてなかった倭彦命墓と垂仁天皇稜と日葉酢媛稜。そして、菅原の地と、秋篠の地を、ようやく回ってきました。写真も沢山撮ったし、すぐにはまとめられないので、詳細はまた後日に。
橿原市にある倭彦命墓。
『日本書紀』には、近習の者を生きたまま周囲に埋め、昼夜泣きうめいたと。それを聞き垂仁天皇は殉死を禁止したとあります。
奈良市の尼ケ辻駅近くにある垂仁天皇稜。
菅原東遺跡埴輪窯跡群
菅原天満宮
秋篠寺
日葉酢媛命陵
最新の投稿
カテゴリー