二上獄ブログ

  • 雪の御池岳でテン泊

    2023年1月8日9日、山友さんと、雪の御池岳でテン泊して来ました。 先月も日帰りで一緒に行ったのですが、そのときは風が強くて鈴北岳と日本庭園だけで帰ってきたのですが、今回はガスガスの中も御池岳まで無事到着し、リベンジ達成です。

    翌日は青空も出て、大勝利でした。 それにしても、すごいエビっぷり。 あれはもう霧氷というより、文句なしに樹氷やね。 遠目には、木々に積もった雪のように見えるけど、みんなエビの塊でした。 さらに、標識の看板は言うに及ばず、地面にまでエビが出来とる! さらにさらに、テントの張り綱にも、ストックにも、至るところに一晩でエビが出来てました。

    スノーシューでグイグイ登っていきます。

    鈴北岳到着。見事なエビっぷりです。

    初日は超ガスガスだったけど、山友さんのコンパスナビゲーションで御池岳到着。

    翌朝の日の出。
    快晴です。

    テントが染まる。

    いいねえ

    外に立てていたポールにエビが〜

    きれいだねえ。

    御池岳に戻ってきました。

    記念写真

    それにしても、だだっぴろいねえ

    鈴北岳まで戻ってきました。

    あれは霊仙山?

    地面にもエビ。
    シュラカブと言うの?

    さ、下山します。


  • 正月登山は小仙丈ヶ岳まで

    雪のアルプスを目指してみよう!
    と思い立ったのが2015年正月。

    山の雑誌等で、仙丈ヶ岳は雪山初級と紹介されていた。 戸台河原から北沢峠へ上がり、山頂へ登るのを夢見て来ました。 でも、崩落やコロナ渦で小屋の正月営業はずっと休止。 冬の仙丈ヶ岳は地蔵尾根から登るのが、すっかり定番になってしまってました。 ところで、年末に山渓の新年号を見ると、長衛小屋が営業すると載っている。 マジかと思い、ネットで確認すると、Facebookの方で、営業期間は12/30~1/8、素泊まり、テント泊のみ、料金は素泊まり大人1名1泊6800円、テント泊大人1名1泊1000円とアナウンスされていた。ただ、戸台河原の駐車場はまだ使えないので、仙流荘駐車場から1時間半程余分に歩かないといけないことも書いてあった。

    夢はテントだったけど、小屋泊にし、予約電話を入れると、あっさり取れた。予約時、インナーシーツ持参するようにと言われた。これはサイトにも載ってあった。 準備を始めると、小屋泊とは言え、アイゼン、ピッケル、ヘルメット、わかん、バーナーとコッフェル、食料等々と詰めていくと、12kg位になった。夏のテント縦走でも10kg以下に収めるのに。結局、この重さと、長い河原歩きが結構堪えた。

    丹渓山荘跡から林道へ出る区間も、 谷底から這い上がるイメージが先にあったけど、 実際にはなだらかな上りだった。 でも、すでに河原歩きで脚がきてたので、きつかった。 ようやく着いた小屋は、とても暖かかった。 受付時、ウェルカムドリンクで何でも一本サービスと言われるので、缶ビールを頂き、おでんを注文して、荷も解かずに寛いだ。 で、寝床の二階へ上がると、そこもストーブが効いていた。 従来の二人分を一人用に区切り、布団も新しいシーツでとても気持ちよかった。

    少し仮眠し、夕食を取りに下へ降り、食堂で自炊。 自炊といっても、アルファ米とコンビニの土佐煮とラーメンのつもりだったけど、雑煮を振る舞ってくれるらしいので、ラーメンはやめた。 夜、ストーブは切れるが、それでも上下ともベースレイヤーだけで熟睡できた。 時折目が覚めると強い風音が聴こえた。

    来る前の予報では、25m前後の風速だったので、恐らく稜線に出たら爆風で、私ごときなど即撤退だろうとイメージして入山していたので、起床も少し遅めにし、6時前に出発した。 朝はコーヒーと、年内に買った五個入りのあんぱんを三つ。 小屋を出ると、やはり足が重い。だるい。 こりゃ小仙丈も無理やな、と思ったり、 GWの北穂の時の方がもっとだるかったけど、一歩づつ歩を進めてなんとか登頂できたんやから、まあ、今回も行けるとこまで歩を進めようと思ったり。

    出だしが遅かったので、日の出も朝焼けも樹林で見れず。 トレースはしっかりあったけど、ところどころ風の通りで消えてる箇所がある。そういうところは踏み直さないといけないので、これもちょっと疲れる。 で、ふと見上げると、霧氷があった。 ようやく写真が撮れる。 綺麗なものを見ると、気持ちも落ち着く。 そしてもう少し進み、樹林が開け、振り向くと、 展望が効いた。 腰をおろし、少し眺めると、 あ〜いいな〜、と声を出してしまう。 正直、最近、冬山意欲が以前ほど湧かなくなっているな〜と、 年末に思ったりした。 この遠征も、わくわく感がそう大きく湧かなかった。 でも、やっぱりここまで来て良かったな〜と思える一瞬だった。

    再び腰を上げ、進路に向くと、幾つもの肩が見える。 たぶん小仙丈は見えていないのだろうけど、 ひとつひとつクリアしていくかと、また歩を進める。 森林限界を出たけど、風はそれほど強くなかった。 体を持っていかれそうになったのが一度、耐風姿勢を取ったのは一度だけで、あとは冬山にすれば無風といっていいぐらいだった。 ときおり、山肌から雪煙が巻起こり、 その渦がこちらへ向かってくると身構えるが、 そう強い勢いでもなかった。

    ひとつひとつ肩に上がり、 広い斜面のトラバースを楽しみ、 周囲の山容を楽しみながら、 ようやく小仙丈ヶ岳の標識まで来れた。 時間を見ると、もう12時近かった。 時間的にもここまでやな、と確認し、 後は、写真を撮ったり、展望を味わった。 行動食は、年末にオクトスの講習会でもらったカロリーメイトを四本。 しばしゆっくり過ごした後、 昨日、山頂まで登った人たちの足跡を羨ましくもう一度眺める。 次は、この先に進まないとね。 そう思いつつ来た道を戻るが、結局、この日、行きも帰りも誰とも会わず。 北沢峠から仙丈ヶ岳目指して登ったのは私だけだったみたい。

    小屋に帰り、カレーと缶ビールで一息。 小屋番さんから、どこまで行かれましたかと訊かれ、 ちょっと恥ずかしく、小仙丈までと答える。 風は強かったですか? いや、風は強くなかったけど、小仙丈着いたら12時前だったもんで、、、へたれな足取りなもんで、、、 何時に出られました? 6時前ぐらい、、、 まあ、その時間でしたら小仙丈までそれぐらい掛かりますよ、と。 慰めのようにも聞こえるし、 もっと早く出とくべきと恥ずかしかったり。 昨日と同じように夕方少し仮眠。 夕食は、袋麺とコンビニのごぼうサラダ、そしてソーセージ炒めを注文。

    三日目朝はコーヒーと残りのあんぱん二個。 足の重さやだるさはあまり感じず、快調に下山できた。 今回は河原に雪が残り、基本行きも帰りも足跡を辿った。 でも、雪がなければその手は使えない。 岸の際や樹林を行くときはテープがあるが、だだっぴろい河原の中を行くときは基本目印はない。次来るときのために、見当を確認しながら帰った。

    ま、今回は絶好の日和だったのに、登頂できず恥ずかしい限りやけど、 ま、次の目標が出来たので、今回は偵察山行ということにしときましょう。 それにしても、どうしてアルプスに来ると、こう足が遅くなるんだろう?

    【河原歩きメモ】
    戸台河原駐車場から園地らしきとこを抜け、河原に出たら、基本左岸歩き。 二つ目?の堰堤は、堰堤の手前を左岸から右岸に移動してから抜ける。

    【軽量化メモ】
    ・ダウンパンツはいらない。(ダウンジャケットは持っておこう)
    ・食料も最小限でいい。(丼もの、カレー、おでんなど注文できるし、カップ麺や菓子類も売ってる。 ・コッフェル・ガスも小さいのでOK。(ポットにお湯を用意してくれているので、ガスはほぼ使わずに済む。)
    ・カイロいらない。(少なくとも寝るときには要らない)
    ・チェンスパいらない。
    ・カメラはTG-4で我慢する。
    ※わかん、スコップは外さないようにしよう。

    霧氷が現れた

    秋に登った栗沢山

    だんだんだんと肩が連なって、小仙丈はまだその向こうかな?

    広い斜面のトラバースは楽しかった。

    小仙丈が見えてきた。

    今回はここまで。来年は、あの頂へ絶対行こう!

    ガスが取れて富士山が拝めた!


  • 小野妹子と秦河勝の故地へ

    きょうは、太子街人(ガイド)の会の主催講座の下調べ第2弾で、滋賀県大津市の小野町、京都の六角堂、そして太秦の広隆寺と巡って来ました。

    きょうもいい天気で、暑かった〜

    まずは、湖西線で堅田の次の小野駅下車。

    目的地は唐臼山古墳ですが、小野道風神社、小野神社、小野篁神社も寄って、和邇駅まで歩きました。

    まずは唐臼山古墳。
    なぜここに来たかというと、、、

    その古墳上に神社があって、

    妹子神社とな。

    小野妹子のお墓は太子町にあるのですが、この唐臼山古墳も小野妹子のお墓だと地元で言われているそうです。ここらは、小野氏の地で、小野妹子の出身地だそうです。

    社裏にある塚がそれだとか。

    琵琶湖を見渡せます。

    次に六角堂に来ました。

    号は紫雲山頂法寺。

    「開基は聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地に訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。」と。

    六角です。

    聖徳太子沐浴の古跡とか。

    御持仏を多良の木に懸け、泉で沐浴された時、浴後枝にかけた持仏が木から離れず、「ここは衆生に利益を与えるにふさわしい地であるから御堂を建ててほしい」というお告げがあったので、この地に六角堂が建てられたとか。

    建立後、小野妹子大臣が守護のため入道し、池の傍らに坊を営んだので、坊号を池坊といった。太子の教えに従って朝夕花を供え、代々の住職がこれを伝えて、生花の名手が輩出されたとか。
    小野妹子は華道の道祖になり、それで、太子町にある妹子墓は池坊が管理されているそです。

    最後は、太秦の広隆寺。推古11年(603)に、太子が「私は尊い仏像を持っているが、だれかお祀りする者はいないか」と言うと、秦河勝が「私がお祀りしましょう」と申しで、造ったのが蜂岡寺(いまの広隆寺)だとか。で、その仏像が国宝になっている弥勒菩薩像だとか。

    秦河勝も小野妹子同様、能の始祖になっているそうで、世阿弥の『風姿花伝』では、申楽(能)は太子から秦河勝に伝えられ、受け継がれてきたものと書かれているそうな。


  • 遠つ飛鳥を歩く

    太子街人(ガイド)の会の主催講座の下準備で、遠つ飛鳥を歩いてきました。桜井駅から土舞台、豊浦寺跡、飛鳥寺、橘寺、植山古墳と歩いて来ました。彼岸花も終わりかけでしたが、まだまだ暑かったです。

    ただ、途中にあった山田寺跡は倉山田石川麻呂縁のお寺だったとは知らずに素通りし、奈良文化財研究所飛鳥資料館は休館日で寄れず、定林寺(立部寺)に行くのは忘れてしまいました。

    また行かないといけないですね。

    ※最後にきょう歩いたルート図があります。

    ひとつめの訪問地は土舞台。
    日本の芸能の発祥地と謳われています。

    私は西側から行ったのですが、ちょっと分かりづらく、一枚目の写真の地図の通り行った方がいいかも。そうすればこの階段に出ます。

    『日本書紀』の推古天皇20年に、「百済の人味摩之(みまし)が帰化した。「呉の国に学び、伎楽の舞が出来ます」といった。桜井に住まわせて、少年を集め伎楽の舞を習わせた。」とあります。
    また、『聖徳太子伝暦』では、「太子は、味摩之の住まいを桜井に与え、少年たちを集めて伎楽の舞を習わせた。」とありまっす。
    その習わした所が、この土舞台だというのですね。

    土舞台からめちゃ歩いて向原寺へ。

    ここの発掘遺構から、推古天皇が住まわった豊浦宮跡、日本最初のお寺豊浦寺跡だとか。

    聖徳太子絵伝には、守屋らが豊浦寺を焼き、日本で最初に出家した善真尼ら三人の尼の法衣を剥ぐ場面が描かれていますね。

    少年たちに伎楽を習わした桜井とは、ここだという碑。

    欽明天皇の時に、物部尾輿が仏像を投げ捨てた難波堀江とは、ここだという看板。

    豊浦宮跡の碑がありました。

    飛鳥寺です。

    日本で最初の本格寺院で、日本最古の仏像、飛鳥大仏があります。

    彼岸花が綺麗。

    聖徳太子誕生地に来ました。欽明天皇の別宮がここにあり、そこで(後の)用明天皇の妃の穴穂部間人皇女が太子を出産されたとか。

    橘寺です。

    最後に植山古墳に来ました。

    ここは、推古天皇が最初に葬られた、竹田皇子の墓だったのではないかと言われています。

    反対斜面では、発掘調査をされています。

    上からは二上山が見えました。あの向こうに、後に移された推古天皇・竹田皇子の陵墓があります。

    この日あるいたルート図


  • 中将姫と當麻曼荼羅展に行ってきた

    久々の投稿。
    きょう、奈良国立博物館で催されている『中将姫と當麻曼荼羅』展に行ってきました。もう、なんでこんな暑い期間にするのって感じで、行くのをためらっていたのですが、会期あと二日と昨日知り頑張って出かけてきました。

    今回のお目当ては、清蓮寺関連の出品。青蓮寺はまだ行けてないし、勉強できてないので、関心のあるところです。

    もうひとつが、期間中、日沖敦子さんの「中将姫説話の展開」という講演があったのですが、これに行けなかったので、講演要旨的な論文が図録に入ってないかと思い、行ってきました。

    で、行ってみて、清蓮寺の「日張山縁起」が観れて良かったです。文章だけかなと思っていたのですが、絵巻でした。あと、和歌山の得生寺の「中将姫坐像」も観れ良かったです。得生寺には三回訪れ、祀られる開山堂の小さな窓から覗き見できるのですが、間近に観れて良かったです。

    で、帰りに図録を見たのですが、日沖さんの論文はあったにはあったのですが、講演テーマとは少し違ったので、買うのをためらったのですが、その横に氏の本『時空を翔ける中将姫 説話の近世的変容』が販売されていて、目次を見ると、“恋野”についても書かれているみたいなので、即買。なんでも最後の一冊だとか。気を良くして図録も買いました。